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生活習慣病に挑む村
─神恵内村が示す医科歯科連携のかたち


「医療だけでは変えられない課題を、どう変えていくか」。

神恵内村が示した答えは、歯科と医科、そして地域と企業が力を合わせることでした。小さな村から始まった取り組みは、生活習慣病予防の未来を照らし出しています。

村役場の大会議室に集まった住民と関係者。人口740人の村で、50名近い参加者が集まった熱気にあふれる説明会となった。


小さな村の大きな課題

札幌から車で2時間半ほど、積丹半島の日本海沿いに位置する神恵内村。人口はわずか740人ほどのこの村は、糖尿病の罹患率が地域で最も高いといわれています。

「高齢化が進んでいるから仕方がない」――そう片づけてしまえば簡単です。しかし、村の人々の健康と暮らしに直結するこの問題に、村役場は真正面から取り組むことを決定しました。

歯と血糖値の深い関係

ここ数年、歯周病と糖尿病の関係は数多くの研究で明らかになってきました。

糖尿病があると歯周病に2.6倍かかりやすく、逆に歯周病があると糖尿病に2.27倍なりやすい。まるで双方向に引き合う“悪循環”のようです[Preshaw 2011]。


その一方で朗報もあります。歯周病を治療すると、糖尿病の指標であるHbA1cが0.4%下がる。これは糖尿病治療薬を1種類減らせるほどの改善効果です[Cochrane 2015][Engebretson 2010]。

つまり「口の健康」が「体の健康」に直結するのです。

村役場で開かれた説明会

2025年7月10日。神恵内村役場の大会議室には、約30人の村民と、役場職員や保健師など20人近い関係者が集まりました。小さな村にとっては大イベント。会場は50人の熱気でいっぱいでした。


最初に登壇したのは函館市『たかさわ糖尿病内科クリニック』の高澤先生。

ここで強調しておきたいのは、医科歯科連携と簡単に言っても、実際には歯科の側が医科にアプローチするケースがほとんどだということです。医科の側から歯科に歩み寄るケースは実に稀です。


その中で、糖尿病専門医である高澤先生が歯科の重要性を理解し、自らの臨床経験をもとに語られる姿勢は、特筆すべきものでした。高澤先生は、ご自身の長年の臨床経験から力強くこうおっしゃっていました。


「糖尿病の患者さんは、お口の中を健康にすることで、血糖値が改善していく傾向にあるのです」

「糖尿病と歯と健康はつながっている。歯周病を改善すると、血糖値も確かに良くなる――私の実感として、これは事実です」

「そして、何よりも大切なのは、ご自身が“自分の病気を見つめる”こと。それが人生を大きく変えるきっかけになります」


この言葉には、参加した村民だけでなく、歯科を始めプロジェクト関係者の胸にも強く響くものがありました。


続いて登壇した神恵内村歯科診療所の萩野先生は、歯周病と糖尿病の関係性をわかりやすく解説しながら、事業に参加するメリットや実際の治療プログラムの流れを説明しました。

全体として90分講演を最後まで真剣に聞き入る住民の姿が、地域の「健康を自分ごととして捉える意識」の高まりを示していました。

高澤先生が講演する様子。「糖尿病改善には歯周病治療が鍵」と語る言葉に、会場は静まり返って耳を傾けた


医療だけでは届かないところへ

もちろん、医療従事者ができることは大きいです。歯周病の治療で炎症を抑え、薬で血糖値をコントロールする。そこまでなら診療室の中で完結できます。

それでも、食事・運動・睡眠――日々の生活習慣そのものを変えるのは簡単ではありません。遺伝的な要因も絡めばなおさら。医療だけでは届かない領域が確かにあります。
だからこそ、このプロジェクトには企業が参加する意味があります。

  • 大塚食品が提案するレトルト食品による食習慣の工夫
  • パナソニックが提供する音波振動歯ブラシによるセルフケアの改善
  • ウェルテックの「コンクール」による口腔ケアの習慣化

それぞれが住民の日常に寄り添う形で関わり、医療と生活をつなぐ“橋渡し”を担っています。

ICT企業の枠を超えて

忘れてはならないのが、富士通Japanヘルスケア事業部の存在です。

神恵内村のこのプロジェクトは、村役場から富士通Japan社に委託されています。歯周病新分類に基づいた「デカゴン」URLを使い、住民一人ひとりのデータを見える化。医科と歯科をクラウドでつなぐ仕組みを整えました。


ただ、富士通は「ICT企業」として関わっているのではありません。

すでに富士通Japanヘルスケア事業部は約9年間、予防歯科の普及に取り組んできました。
今回の説明会で配布されたチラシも、富士通のスタッフが自ら手作りしたものです。そこには、単なるデザインを超えて「予防歯科を理解し、住民に伝える力」が込められていました。

このように富士通社をシステム提供者ではなく “実践型のパートナー” と位置づけることができます。

説明会で配布された富士通Japan 制作のチラシ。ICT 企業の枠を超え、予防歯科を理解した表現が住民に伝わった。


説明会のその先へ

説明会の後、具体的な動きも始まっています。村の保健師が中心となり、糖尿病予備軍と考えられる約30名の住民をピックアップ。神恵内村歯科診療所で歯周病治療を受けてもらう段取りが整いつつあります。

「たった30人」と思われるかもしれません。けれど、人口740名ほどの小さな村においては、これは決して小さな数字ではありません。むしろ地域全体に影響を及ぼす規模です。

神恵内村歯科診療所の現実

その一方で、このプロジェクトを進める診療所の環境は、都市部の歯科医療者には想像しがたい厳しさがあります。

診療所を担う萩野先生は、一般診療を行いながら、週に数回は訪問診療にも出向いています。限られた時間で外来と訪問を両立させつつ、さらに糖尿病予備軍30名への歯周病治療を加えるのは大きな負担です。

さらに、診療所には歯科衛生士が1名在籍していますが、その方は家業である漁業を兼業しており、繁忙期には診療所での勤務時間が制約されます。つまり「歯周病予防の要」である歯科衛生士の稼働時間すら安定しないのが現実なのです。

こうした環境の中でプロジェクトを進めることは、都市部の歯科医院の常識では測れない困難を伴います。だからこそ、この取り組みは医療者だけでは成り立たない。行政、企業、そして地域の支えが一体となって初めて動き出すのです。

診療所に勤務する歯科衛生士。家業の漁業を兼業しながら地域住民の健康を支える姿は、この村ならではの現実だ。


神恵内村から全国へ

神恵内村の挑戦は、小さな村だからこそできた実証モデルですが、全国に広げる可能性を秘めています。

  • 自治体の生活習慣病対策モデルとして
  • 企業健保における健康経営の支援として
  • 医療費抑制の切り札として

「医療だけでは変えられない課題を、企業と一緒に変えていく」。
神恵内村は、その実例を示したのです。

もっとも、こうした取り組みを紹介すると、都市部の歯科医師からは「小さな村だからこそできた実証モデルなのではないか」という声が聞かれることも少なくありません。
しかし、そのような視点で物事を見ている限り、現状は何も変わらないのではないでしょうか。

むしろ重要なのは、「規模」ではなく「仕組み」そのものです。行政・医療・企業がネットワークとして結びつくことこそが、生活習慣病予防に本当の変化をもたらすのです。
都市部の歯科医療者も、ぜひこのネットワークにアプローチする視点を持ってほしい――神恵内村の事例は、そのヒントを与えてくれるはずです。

医科・歯科・行政・企業が一堂に 神恵内村から始まった連携のかたち。ここから生活習慣病予防の新しい物語が広がっていく。


参考文献

  1. Preshaw PM, et al. Periodontitis and diabetes: a two-way relationship. Diabetologia. 2011. PMC3228943
  2. Borgnakke WS. Current scientific evidence for why periodontitis should be considered a complication of diabetes. Frontiers. 2024. Frontiers Article
  3. Cochrane Oral Health Group. Treatment of periodontitis for glycaemic control in people with diabetes mellitus.Cochrane Database Syst Rev. 2015. Cochrane Review
  4. Engebretson SP, Kocher T. Evidence that periodontal treatment improves diabetes outcomes: a systematic review and meta-analysis. J Clin Periodontol. 2010. PMC2809296
  5. Grossi SG, Genco RJ. Periodontal Disease and Diabetes Mellitus: A Two-Way Relationship. Ann Periodontol. 1998. AAP Journal
  6. NHANES. Uncontrolled diabetes and periodontal disease: evidence from US National Health and Nutrition Examination Survey. Sci Rep. 2023. Nature Article
  7. American Academy of Periodontology (AAP). Gum Health and Diabetes. AAP Website
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