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新たな予防歯科の潮流・酒田市日和山周辺をめぐる散歩Ⅰ・Ⅱ



「治療から予防へ〜近現代・歯科の軌跡をめぐる記憶散歩」
~横浜・東京・酒田へ去来するイノベーション~

予防歯科は近現代の歯科からどのような変遷を経て現在に至ったのか、5月からコラムがスタートします。


以下予告



◇目次①②
「新たな予防歯科の潮流・酒田市日和山周辺をめぐる散歩1・2」

 予防歯科のパイオニア・日吉歯科診療所の所在地は山形県酒田市日吉町2丁目。中世から近世にかけて、海外交易や日本海航路の重要港湾だった酒田港や、当時の面影を随所に残す市街地を見おろす「日和山」の麓(ふもと)に位置しています。
 日和山の名称は、船出の前の海の状況(日和/ひより)を、船頭や地元の商人たちが、この高台から確認したことから来ているとされます。また、昭和40年に誕生した日吉町2丁目⼀帯の旧町名に見られる「秋田町」や「伝馬町」か らは、現在の日吉歯科診療所の周辺が、酒田港と秋田方面を結ぶ物流の大動脈「秋田街道」に面し、現代のトラックに相当する駅馬(伝馬)が置かれた旧宿場町であったことを推測させます。
 日和山で観察する毎日の日和は、船の出入りに重要な情報であり、その結果は麓の秋田町や伝馬町のその日のにぎわいに直結していたことでしょう。換言すれば、日和山とその麓を含む周辺エリアは、中世以前には国際港湾都市、近世には国内の一大物流拠点であった酒田のHUB(人・モノ・コトの自由な交流結節点)機能が集約していた場所ともいえます。 企画案①②においては、連載のプロローグとして、こうした成り立ちを持つ地で1980年に開業し、世界最先端の歯科医療のトレンドを常に取り込みながら、バージョンアップを繰り返すとともに、全国に「予防歯科」の環を広げ続けてきた日吉歯科診療所(および熊谷崇先生)の歩みと、酒田市における「予防歯科」の普及のプロセスなどを、日和山周辺を散策しながらコンパクトに紹介していきます。

 そして、そこから⼀気に、現代の「予防歯科」の理念に到達する以前の基盤形成時代として、西洋式の「治療技術」の確立に邁進した日本の「近代歯科医学」の曙時代(明治・対象・昭和初期)にさかのぼり、さまざまに興味深いエピソードの跡(記憶)を訪ねる散歩(旅)を行います。
 それによって、現代の「予防歯科」に至るプロセスの初期における、歯科医療の世界で示された先達たちの多彩な努力の軌跡を、以下のような目次案のもとに呈示。「予防歯科」に対する読者の関心を、さらに深めるような記事を作成していきたく思います。(2回連続)


◇目次③④
「近代歯科誕生の地・横浜外国人居留地跡をめぐる散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑤⑥
「日本人初の歯科医師・小幡英之助の足跡をめぐるモダン銀座散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑤⑥
「日本人初の歯科医師・小幡英之助の足跡をめぐるモダン銀座散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑨⑩
「歯科機械販売の祖・清水卯三郎の足跡をめぐる浅草・日本橋散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑪⑫
「日本初の女性歯科医師・高橋コウの足跡と薬の街・日本橋散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑬⑭
「東京歯科大学のルーツ/日本初の歯科専門学校『高山歯科医学校』の創設者・高山紀斎の足跡をめぐる散歩Ⅰ・Ⅱ

◇目次⑮⑯
「米国で歯科医院を開業した日本人歯科医師第1 号・一井正典の足跡をめぐる散歩Ⅰ・Ⅱ」

◇目次⑰⑱
「日本の4 大歯科大学(歯科医学部)の集まるホットスポット散歩Ⅰ・Ⅱ」








◇目次㉓㉔
「予防歯科の要・歯科衛生士の歴史の軌跡と次世代予防歯科の芽吹きをめぐる散歩Ⅰ・Ⅱ」