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第1話/「酒田市・日和山周辺・散歩」編㊤

日吉歯科診療所

予防歯科はすべてを包含しつつ理想のカタチを目指す

 「予防歯科」情報のプラットフォーム《Communication Gear》にアクセスした皆さんなら既にご存じでしょう。「口腔の健康(オーラルヘルス)」が、全身の健康につながるという考え方は、予防歯科の普及につれ、日本でもようやく常識となりつつあります。

 日本では1980年代初頭から、スウェーデンのシステムを導入する形で、少しずつ浸透し、独自の発展も遂げてきた予防歯科。赤ちゃんの頃から口腔の健康維持をはかり、生涯にわたってむし歯ゼロ、歯周病も入れ歯もない人生を国民にもたらす。そんな予防歯科が目標として掲げる理念は、でも、80年代初頭の導入当初、歯科医療の世界では「常識」どころか「非常識」とする声もありました。

 それは手法としての問題ではなく、もっぱら歯科医院の経営上の問題にかかわる批判でした。カリエス(むし歯)が生じたら患部を削って詰め物を入れる充填処置を、歯が抜けたら入れ歯やブリッジなどの補綴処置を行い、歯周病が生じたらその治療をする。そんな「受け身型の治療」中心の臨床が一般的だった当時、「積極的な予防」でむし歯も歯周病も入れ歯も必要のない世の中になったら、歯科医院はビジネスとして成り立たないという極論さえ、一部で叫ばれたのです。

 では、「予防」と「治療」は対立構造にあるのでしょうか? もちろん、それは違います。

 予防歯科という大きな枠組みの中には、カリエス(むし歯)の充填処置もあれば、失われた歯の代替手段としての補綴処置(クラウン、ブリッジ、入れ歯など)や歯周病治療、人工の歯を顎の骨に埋め込むインプラント治療など、すべての歯科治療の成功要素が含まれています。

 子どもの頃から予防をしても、治療の必要な状況は、誰にも起こる可能性があります。大人になってから予防歯科を受診するようになった患者さんには、予防歯科へ移行する前に、その時点での口腔が抱えている不具合に対する初期治療(むし歯と歯周病の細菌を減らす治療)が必要なケースが多いものです。赤ちゃんから高齢者まで、予防を始める年齢を問わず、それぞれの段階に応じた治療との兼ね合いで、予防歯科はどのようにも始めることが可能な、幅の広さがあるのです。

 別の言い方をすれば、予防歯科における予防と治療の関係は、対立構造どころか、従来の治療中心の歯科医療を、根本的にバージョンアップさせる効用もあるのです。


世界最先端の予防歯科のまち・酒田市(日和山)を散歩

現存する日本最古の木造六角灯台(明治28年築)。
明治30年代まで続いた北前船時代末期の酒田港への船舶の出入りを誘導した


 近代歯科医療の技術的な体系は、世界初の歯科医学専門学校とされる「ボルチモア歯科医学校(現メリーランド大学歯学部)」が1840年に創立し、日本では明治維新前年に当たる1867年に、世界初の大学歯科医学部がハーバード大学に設立されるなど、1783年の独立から間もない新大陸のアメリカ合衆国で芽生えました。

 同時に「予防歯科の原型」とされる、絹糸で歯間を掃除するフロッシングが、近代歯科医学の教育を受けていない歯科医師、レヴィ・スピア・パームリーによって、1815年に早くも提唱されました。近代歯科医学発祥の地・アメリカには、予防医学と治療医学の芽が当初から並立していたとも言えます。

 それから約1世紀が経過した1970年代前半のスウェーデンにおいて、予防と治療の二つの概念は、国家戦略としての「予防歯科」の理念へと「統合」され、結実化していきます。

 その「成果」が1980年代初頭に導入され、それから約40年間のプロセスで、予防歯科は日本で独自の進化を遂げていきます。


 近・現代の歯科医学・歯科治療の変遷(記憶)を今に伝える「物件」(歴史的遺構や記憶の地)を訪ね散歩する――。そんな趣旨で、今回から始まった本コラムが、最初の訪問地に山形県酒田市を選んだのは、他でもありません。予防歯科の導入以来、紆余曲折をへながら、予防歯科が独自の進化を遂げてきた日本の中心地が、まさに酒田市だからです。

日和山の麓を拠点に、国内外の予防歯科分野の発展に寄与している日吉歯科診療所


 さらにその拠点を担うのは、本サイト《Communication Gear》の読者の皆様には既におなじみ、1980年に酒田市日吉地区に開業した「日吉歯科診療所(熊谷崇院長)」です。


河村瑞賢が北前船日本海側航路を開拓した最大目的は、最上川流域の米を大阪・京都へ迅速に送ることだった
(写真は最上川・酒田港を結ぶ酒田北港水路)


 日吉地区と日吉歯科診療所は、酒田市街、酒田港、日本海、東北を代表する大河・最上川、日本の山岳信仰の聖地・出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)を一望する美しい丘「日和山」の麓に位置しています。日和山の日和とは、天候の具合を指す言葉。中世から国内外との交易を盛んに行い、江戸時代を通じて「北前船」の拠点的港湾都市として栄えた酒田の人々は、航路(海路)の安全を確認する上で欠かせない「潮見」を行う場所として日和山を活用しました。

日和山の上から酒田港・日本海方面を遠望しているような河村瑞賢像

日和山公園の池に浮かぶ「北前船(千石船)」2分の1スケール復元模型


 現在の日和山は一帯が公園です。公園内には日本海航路を切り拓いた江戸時代初期の豪商・河村瑞賢のブロンズ像が立ち、2分の1スケールの北前船(千石船)が池に浮かんでいます。頂上の見晴らし台で酒田港越しに日本海を望めば、大小さまざまな船舶の出入りや、日本海が生み出す強風を活用した風力発電機の巨大なプロペラが林立している様子などが一望できます。

 そんなのどかな風景の中で、予防歯科のことを考えてみると、さまざまな連想が浮かんで来ます。

 日和山の麓で現代日本の予防歯科臨床をけん引する日吉歯科診療所が、酒田に移転する前(70年代末)は酒田市日吉地区と地名の似通った横浜市日吉地区にあったこと。海辺の寒村・横浜は横浜港が幕末に開かれ、外国船寄港地になったため現在の横浜市へ飛躍的に発展したこと。後に詳しく紹介しますが、幕末から明治初期の横浜は、日本で初めてアメリカ式の歯科医院がアメリカ人によって開業され、日本人初の歯科医師や歯科技工士を育てた街でもあります。また、世界初の歯科医学専門学校「ボルチモア歯科医学校」が誕生したボルチモアにはボルチモア港があり、首都ワシントンD.C.の外港として、大西洋航路の重要な港湾都市であること。

 そして、酒田と横浜とボルチモアは現在も、港から入ってくる「ヒト・モノ・コト(人・物資・文化など)」が交流し、そこを拠点にさまざまな都市への結節点としても機能する「Hub(ハブ)港的な役割」を担う街であり続けていること、などです。

 港湾都市・酒田で約40年間、予防歯科診療をけん引し、国内外で予防歯科を推進する歯科医師たちの交流拠点の役割をも果たしてきた日吉歯科診療所は、そういう意味合いにおいて、予防歯科分野におけるHub港的な存在――と言えるのかもしれません。

(以下、次号に続く)



筆者プロフィール


未知草ニハチロー(股旅散歩家)

日本各地を股にかけて散歩しながら、雑誌などにまちづくりのリポートをしている。
裸の大将・山下清のように足の裏がブ厚くなるほど、各地を歩きまわる(散歩する)ことが目標。