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放射線治療の後に多発するむし歯

 英語で “radiation caries” 、日本語で「放射線齲蝕」という専門用語があります。これは首から上の範囲におよぶ「がん」に対して放射線治療を行った時、がん細胞だけでなく唾液腺も破壊されてしまう結果、唾液の分泌量が極端に少なくなり、主にそのおかげであっという間にお口全体にむし歯ができてしまうことを言います。唾液はお口の中のpHを調整し、再石灰化(再石灰化については「水は最高の飲み物」 をご覧ください)を促し、抗菌作用を持ち、物を洗い流してくれるからです。他にも糖類が豊富な栄養剤の頻回な摂取や、放射線による歯の構造へのダメージも原因になります。

 「放射線齲蝕」は放射線治療後、わずか数週間で起こる可能性があります。放射線治療を行った患者さんの約30%は1年以内に「放射線齲蝕」が生じたという調査結果がありました。特に、通常はむし歯になりにくいとされる前歯の表側にまでできるのが特徴です。そして進行も非常に速いです。元々歯ぐきが下がっていて、歯の根っこの部分が見えている人の場合は、その部分は弱い性質を持つので、そこが真っ先にむし歯になります。

 見える部位もむし歯で黒くなるために見た目も損なわれますが、放っておくとむし歯はどんどん進んで痛みを引き起こします。1本、2本のことではないので、非常な苦痛になってしまうでしょう。

 手の施しようがなくなるこのような急速で劇的な変化は、むし歯特有の特徴で、お口の中の病気としてむし歯と双璧をなす歯周病の特徴とは違うところです。歯周病の場合は、問題が大きくなる歯周炎(歯周炎については「どうして歯磨きするの?(2) ―歯周病編」をご覧ください)の段階に至るまで数年〜10年以上かかります。お口の中のケアが行き届いていない小さな子どもさんに重度のむし歯は見られても、重度の歯周炎はほぼ見られないことからもこの特徴の違いを表しています。

 放射線治療だけでなく、例えば認知症やその他の重篤な全身の病気で歯磨きがままならなくなったり、退職や介護施設に入ったりすることで食生活がガラッと変わったりといったお口の環境の急激な変化によって同じようなむし歯の多発が認められます。そのため、全身の状態や生活習慣の大きな変化に対して、歯科においては、まず、むし歯予防が後手に回らないよう迅速で集中的な対応が必要です。

 急を要するこのような状況での予防処置の「一丁目一番地」はフッ化物の最大限の利用です。歯磨きペーストの利用に加えて、フッ化物入りでかつ、アルコールを含有しない洗口液や、マウスピースのようなトレーを使ったフッ化物製品の利用も勧められます。他に食事習慣に気をつけること、唾液を補うためにお水を日中頻回に口に含ませること、シュガーフリーのチューイングガムを噛むこと、代替唾液を利用することも勧められます。

 「放射線齲蝕」を目の当たりにすると、つくづく唾液の役割の大切さを実感します(唾液の役割については「唾液のひみつ」 をご覧ください)。むし歯だけでなく、粘膜疾患や痛み、味覚の変化というクオリティ・オブ・ライフを著しく低下させる状態が起こり得ます。放射線治療を受けることになると、お口の中のことは後回しになりがちですが、健康なうちにこのような情報を入れておいていただいて、まさかの時に参考にしてもらえたら幸いです。


写真説明

アイルランドのある歯学部大学病院で。口腔がんのスクリーニング無料サービスに並ぶ人たち。


参考文献


  1. Lu H, Zhao Q, Guo J, Zeng B, Yu X, Yu D, Zhao W. Direct radiation-induced effects on dental hard tissue. Radiat Oncol. 2019;14(1):5.

  2. Gouvea Vasconcellos AF, Palmier NR, Ribeiro ACP, Normando AGC, Morais-Faria K, Gomes-Silva W, et al. Impact of clustering oral symptoms in the pathogenesis of radiation caries: a systematic review. Caries Res. 2020;54(2):113-26.

  3. Pedroso CM, Migliorati CA, Epstein JB, Ribeiro ACP, Brandão TB, Lopes MA, et al. Over 300 Radiation Caries Papers: Reflections From the Rearview Mirror. Front Oral Health. 2022;3:961594.

  4. Sankar V, Xu Y. Oral Complications from Oropharyngeal Cancer Therapy. Cancers (Basel). 2023;15(18).

  5. Goh EZ, Beech N, Johnson NR, Batstone M. The dental management of patients irradiated for head and neck cancer. Br Dent J. 2023;234(11):800-4.

筆者プロフィール

Makiko NISHI

西 真紀子 NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長
(旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」)

1996年 大阪大学歯学部卒業
     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
2001年 山形県酒田市 日吉歯科診療所勤務
2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修士課程修了
Master of Dental Public Health (MDPH)取得
2010年 NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長
(旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」)
2018年 同大学院博士課程修了 
   Doctor of Philosophy(PhD)取得